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松山製菓:番外編 (会社のうらばなしと名古屋の駄菓子に関するあれこれ・昭和時代の生活の備忘録)

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粉末ジュースの松山製菓は餅飴メーカーとしてスタートしました

      2015/12/11

餅飴メーカーとしてスタート

松山製菓の創業は1950年(昭和25年)です。もともとは、餅飴メーカーとして創業しています。

先代が、戦地より戻り、名古屋市西区のトモエ製菓という餅飴メーカーに修行に行き、製法を教わり、独立しました。

餅飴というのは、もち粉にデンプン、水飴、砂糖などを加えて作ったいわば和製キャラメルとでもいうもので、有名どころでは、セイカ食品の「ボンタンアメ」があります。名古屋でも、餅飴メーカーは、前述のトモエ製菓を始め、「さくらんぼ餅」の共親製菓、「こざくら餅」の明光製菓などがあります。富士製菓は、まだあるのかな? 自分の子供の頃は、見田製菓の「きびだんご」というのもありました。

松山製菓でも、あのキレイなピンク色の餅飴が作りたかったのですが、餅と水飴・砂糖等を混ぜる工程で、砲金釜で練る際に擦れて、どうしても茶色く汚れてしまい、キレイなピンク色ができませんでした。 それならいっそ、ということで、黒糖を混ぜて作ったところ、これがいい味となり、「かっぱ餅」というヒット商品につながった、と聞いています。

1ドル360円の時代でしたので、輸出のほうも盛んで、当時のカタログを見ると、取扱品目が、Caramel、Nougat、Rice Candy と書いてあります。 Rice Candy が餅飴に該当するのでしょう。 先代は外国好きで、しょっちゅう海外出張へ行っては販路開拓をしていたようで、当時のパッケージも洋風でした(かっぱ餅を除く)。

創業地は、名古屋市中心部の船入町という場所で、今の名駅5丁目、堀川沿いになります。 そこの、土蔵の中で餅を蒸したり、飴を引いたりするので、高温でキツイ作業環境だったようです。

餅飴製造

当時の様子=餅アメの蒸練機

当時の様子

当時の様子=ミキサー

当時の様子=アメ引き

当時の様子=アメ引き

粉末ジュースに参入

その後、昭和30年前後に、名糖産業をはじめ、粉末ジュースメーカーが大量に出てきた時期に、松山製菓も粉末ジュースに参入しました。 名糖産業さんなどの先駆者は自社での粉末化技術を持っていましたが、雨後のタケノコの後発参入メーカーにとっては、なにしろ混ぜるだけ、暑くないキツくない単純な作業で作れるため、当社の主力商品は、餅飴から粉末ジュースにシフトしていきます。

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