@名古屋

松山製菓:番外編 (会社のうらばなしと名古屋の駄菓子に関するあれこれ・昭和時代の生活の備忘録)

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粉末ジュースの時代:全盛から撤退/再開

      2015/12/11

粉末ジュース最盛期

自分は子供の頃に、「ホホイのホイ ともういっぱい ♪」のエノケンの渡辺のジュースの素、「まちにメロンがやってくる ♪」の春日井シトロンソーダのCMがTVで流れていたのを記憶しています。

当時は、「渡辺のジュースの素」は一袋5円でしたか。

松山製菓の場合は、当時としては珍しい外人の子役タレントさんをモデルに使ってPOPを作成していました。今のパックジュースのように、5つの味が横につながっているのではなく、縦に5つ同じ味がつながったものが横に味違いで4列並んでいるタイプの吊り下げ式タイプと、ジュース瓶の形のポリボトルに入ったものを製造していました。

発売中から復活へ

そして、昭和40年代半ばに粉末ジュースは全盛を迎えるのですが、そこで一気に奈落の底に落ちます。いわゆる「チクロショック」というやつで、甘味料の「チクロ」がアメリカ発で発がん性があるとかで使用禁止となり、粉末飲料だけでなく、清涼飲料業界全般が大ダメージを受けます。(チクロについては濡れ衣説があります。)。これ以降、発売される商品は「全糖」を謳うようになりました。 コカコーラなんかも「全糖」を謳っていたような覚えがあります。ブドウ糖に甘味料プラスで低廉に作れていたものが、砂糖を使用するようになって、原料費が上がり、一時撤退します。 その後、サッカリンなどの人工甘味料が使用解禁となって、再び粉末ジュースを製造するようになります。 チクロは、サッカリンなどと比べ味がよかったため、うちの先代は、使用禁止後も家庭に隠し持っており、自家用として使用していたようです。

おそらく、この時期のどこかで一袋10円の5連つながりの現在のパッケージ形状になったものと思われます。商品名の「パックジュース」もこの時期につけられたものではないでしょうか。東陽機械という包装機メーカーの包装機で、同じ形状のものは、名古屋では、日邦製菓、共親製菓、ヤマエ食品さんなども保有していました。 どちらかというと製薬メーカーが使うような機械で高額なもので、他社は撤退してしまった今でも当社ではこの機械を使用しており、機械には昭和四十何年だかの刻印が付いています。

(現在では、その後1度デザイン変えをして一袋20円設定となっています。)

当時の粉末ジュース

当時の粉末ジュース

当時の粉末ジュース(ボトル入り)

当時の粉末ジュース(ボトル入り)

当時のPOP

当時のPOP

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