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松山製菓:番外編 (会社のうらばなしと名古屋の駄菓子に関するあれこれ・昭和時代の生活の備忘録)

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テキサスコーンたこやきでスナック菓子に参入

      2015/11/23

スナック菓子の日本での草分けは、ご存知明治の「カール」というのが定説ですが、発売当時から大袋でのパッケージで、子供の買えるお菓子ではありませんでした。 小袋のスナック菓子というと、「仮面ライダースナック」あたりが最初になるのでしょうか? 当時は既に駄菓子屋通いを卒業しており、このあたり憶測で書いています。 自分が駄菓子屋通いをしていた頃は、このカテゴリーのお菓子は、透明の小袋に入ったカレー味の「カメせん」はあったような気がしますが、大和の「味カレー」はいつから小袋で発売していたのでしょう?

こども向けのコーンスナック、「うまい棒」「キャベツ太郎」が発売される頃には、完全に大人でしたので、もう記憶も印象もありません。 松山の「テキサスコーンたこやき」も、菓道のキャベツ太郎に遅れること半年、1982年に発売されています。 たこやきのソース味の再現には、当時の工場長らが大阪のたこ焼きを食べ歩いて研究したと聞いております。 (当時はアメリカ産とうもろこしを使用していたため、このネーミングにしたのですが、現在ではじつはヨーロッパ産のコーンが主体です。)

こういったお菓子などの袋は、美味しそうに見せる為に、オレンジ・黄色・赤などの暖色系を使うのが常道なのですが、それらに混じって、この青い袋は、とても目立ったようで、生産能力を超える受注があったようですが、結局、多くの受注には対応しきれず、関東でそれなりのシェアを取る機会を逃してしまいます。

岐阜県関市にスナック製造工場を建てるきっかけとなりました。

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